EVENT

2004/09/14
From: CeMI事務局
火山視察〜ハワイ島で火山との共生を学ぶ
第1グループ視察報告
2004年8月21日(土)〜26日(木)

3日目
 朝から晴天。公園内のチェーンオブクレーターズ道路を下って、最近の溶岩流入水域に向った。溶岩の流路が変わったため、5月以来続いていた溶岩の海への流入はあいにく8月4日に止まってしまい、遠くの斜面で森林が焼けて煙が上がっているのを遠望できたのみであった。

チェーンオブクレーターズ道路の先端にある国立公園レンジャーの詰め所、溶岩流の現況情報などが観光客に提供されている。
<チェーンオブクレーターズ道路の先端にある国立公園レンジャーの詰め所、溶岩流の現況情報などが観光客に提供されている。>

溶岩に埋まった舗装道路や真新しい黒光りのする溶岩の表面構造を観察した後、東リフトゾーンのパウアヒ火口で割れ目噴火の状況を観察した。

溶岩流に埋まってしまった道路標識
<溶岩流に埋まってしまった道路標識>

溶岩流の上には小さな反射板が取り付けられており、観光客を安全に活発な溶岩流に誘導するようになっている。
<溶岩流の上には小さな反射板が取り付けられており、観光客を安全に活発な溶岩流に誘導するようになっている。>

火山視察の一行に解説の労をとってくれたハワイ火山観測所所長のスワンソン博士。 ボルケーノハウスで昼食を取った後、午後はハワイ火山観測所を訪問して、スワンソン所長から観測手法の現況や観測所としての行政や市民への情報提供・連携の内容を具体的に解説していただき、質疑を行った。
 その後はジャガー博物館隣接の展望台からカルデラを遠望し、国立公園外に出て1790年のマグマ水蒸気爆発堆積物の上に残された現地人の足跡遺跡を見学した。

ジャガー博物館に隣接したキラウエアカルデラの展望台に集まった観光客
<ジャガー博物館に隣接した
キラウエアカルデラの展望台に集まった観光客>

 夕食は津波博物館近くのイタリアンレストランで生演奏を聴きながら取った。ホテルに戻ってから火山観測所スタッフ撮影の噴火場面を捉えたCDのスライドショーを見た。

4日目
 朝から晴天。国立公園に入り、クレーターリム道路に沿って、南西リフトゾーンにできた割れ目と溶岩流、その下のマグマ水蒸気噴火の噴出物、1959年噴火によるプープアイ火砕丘からカルデラ全体を展望、ケアナカコイ火口を覗いてから、ボルケーノハウスで昼食。

1959年噴火で出来たプープアイ火砕丘の遊歩道
<1959年噴火で出来たプープアイ火砕丘の遊歩道>

 午後は有料オプションとして設定したヘリフライトで、1983年以降続いている噴火の火口や溶岩流を上空から訪れた。赤熱した溶岩を湛えた火口湖、斜面を流れているアア溶岩の光景を参加者はカメラに収めた。

ヘリコプターより見下ろしたプオオ火口。火山ガスを放出しており赤熱した溶岩が見える/ヘリコプターより見下ろした急斜面を流下中のパホイホイ溶岩
<左:ヘリコプターより見下ろしたプオオ火口。火山ガスを放出しており赤熱した溶岩が見える。>
<右:ヘリコプターより見下ろした急斜面を流下中のパホイホイ溶岩>

 1時間近いフライトを終え、空港の喫茶店で一息入れてからこの視察最後の見学地カラパナ集落に向った。1990年に溶岩流によって、130戸余りの農村集落の約95%が埋没してしまった場所である。溶岩流に寸断された舗装道路、かろうじて残った住宅に入るために住民が作った仮設の私道、1棟だけ移設に成功した教会などを見学した。

1990年の溶岩流に埋まったカラパナ集落
<1990年の溶岩流に埋まったカラパナ集落>

1990年の溶岩流で途切れる州道130号、外部の人々の立ち入り禁止を表示した看板の先方に私道が見える。
<1990年の溶岩流で途切れる州道130号、外部の人々の立ち入り禁止を表示した看板の先方に私道が見える。>

 夕食はヒロ市場の近くのタイ料理店。ホテルに戻ってから、今回の企画についての意見交換の場を短時間ながら持った。

最終日
 朝早くヒロを後にしてホノルルに向い、国際線に乗り継いで帰国した。

現地滞在3日半でキラウエア火山の地形と噴出物と共に国立公園として観光客への展示方法を見学し、 噴火による集落の被災状況、火山観測所の役割など日本の現状との違いを認識しつつ、火山との共生を学ぶ視察旅行であった。


第1グループ参加者 集合写真
<第1グループ参加者 集合写真>


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